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涛々園について

 

涛々園は平澤嘉太郎の粟崎遊園に対抗して金石電気鉄道が建てたもので、粟崎遊園と同じ年に開園している。

 

施設は温泉、潮湯、余興場、こどものくに、旅館、貸室、写真館などがあり、全国中等学校野球大会も開催された。

粟崎と比べて規模は小さかったが、近くに金石海水浴場もあり、旅館からは海が眺められた。ここでは粟崎遊園に比べて新鮮な魚が食べらると当時の観光雑誌「観光の金澤」に紹介されている。

 

専属の劇団はなかったとされているが、北國新聞の演芸欄には演目が毎月載っており、時折、涛々園の俳優に関する話題も記事になっているので、専属の俳優はいたようである。

 

昭和7年金沢市主催の「産業と観光の博覧会」開催時は同じ時期に「銭屋五兵衛遺品展覧会」を開き、劇場では銭屋五兵衛劇が常時上演されていた。

 

 

 

粟崎遊園と同じく夏は海水浴場で集客を行なっていたが、涛々園の経営の柱は旅館、温泉、料理がメインだったようである。劇場を金沢市内の劇団に貸し出ししていた記録もある。

 

太平洋戦争の始まった年に休園となり、そのまま閉園となったと言われていた。しかし、戦後の昭和21年4月に新日本産業の手によって再開され、昭和26年11月まで開園していたことが当時の北國新聞の記事からわかる。

戦前、戦後を通じて学生相撲大会(高等学校相撲金沢大会)の会場となっており、昭和22年の10月30日~11月3日に石川県内で行われた国体の第2回大会では涛々園はボクシング会場にもなっている。

 

建物は昭和27年に売却、解体され現在、跡地は金石町小学校となっている。