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鴨居悠「金沢新風景」より小松砂丘の挿絵

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明治24年(1891年)10月長崎県北浦郡田平村小崎免に生まれる。ペンネーム=悠々鴨居

 

京都帝国大学(現京都大学)文学部を出て大阪毎日新聞社に入社。フランス、イギリスなどの特派員を経て、北国毎日新聞(現北国新聞)の主筆となる。

一時期は大阪毎日新聞社に戻り、ソウル支局長、大阪本社論説委員となったが、昭和17年(1942年)に再び北国毎日新聞主筆に戻る。

北國毎日新聞に務めながら、粟崎遊園のレビューなどの脚本を書き上げる。多くの文化人と交流があった。戦後は石川県地労委員長、県公安委員などを歴任。

昭和24年(1949年)4月死去。

 

三人の子供のうち長男の明は戦死。長女洋子(羊子)は大阪読売新聞の記者を経て下着デザイナーとなる。次男玲は画家として活躍する。

鴨居洋子の本「わたしのものよ」には飲んべえの父鴨居悠や金沢時代の面白可笑しいエピソードが書かれている。